辻占 -つじうら-

「辻占って知ってる?」

妻がおもむろに聞く。僕は誰かの名前かと思い、「誰?」と即答した。

「違う、違う。人の名前じゃなくて、辻占っていう占いなの」

妻の好奇な目線が僕の足を立ち止まらせた。僕たちは高円寺に向かって歩きながら、そんなことを話していた。

妻は続ける。

「辻占っていうのは、夕方に交差点で通りすがりの人たちが話している言葉を聞いて占いをすることなの。万葉集なんかにも出てて、橋のたもとの会話で占う橋占っていうのもあるんだよ。神様が通る場所だから交差点(交叉点)なんだって!」

妻はなぜか嬉しそうに話す。

「そうなんだ、でもやけに嬉しそうだね」僕が言うと、

「私、実は昨日、辻占をしてきてもらったの!」妻が僕の右手を優しく両手で掴む。妻の熱量が僕の手から全身に伝わる。その類の話には一切興味のない僕は話が長くなりそうだなと、ばれぬように小さくため息をつく。

「それで、何が聞こえたの?」

「えーとねー、私が聞こえたのはねー」

期待感を煽るように妻は語尾を伸ばす。しかし、妻はえらくご機嫌な様子なので、特にその言葉に好奇心は駆り立てられなかった。きっと、他愛もない幸せな言葉なのであろう。

僕の予想ではこうだ。

「あのテレビ番組は、退屈だけど、何か見ちゃうんだよね」

このような、普段なら立ち止まりもしない他愛の無い会話で、「テレビ番組」という言葉から家庭が持てることを示唆させ、「退屈」から夫婦間のわだかまりを心配させ、最後に「見ちゃう」という逆説の言葉で円満な終りを告げる。

占いとしては、どんな言葉でも起承転結をつけて、お客の満足感を満たすのだろう。妻のご満悦な顔を見ても、容易にそれが想像できた。

「それで、交差点でなんて聞こえたの?」あたかも興味があるような声で僕は聞く。その後、はるかに自分の想像を超える答えが返ってくることも知らずに。

 

彼女は言った。

「私が聞こえた言葉は・・・」

「言葉は・・・?」僕はイライラした様子で相槌を打つ。

 

「まさか、ジャコが人殴るとはな」

 

「えっ? 今なんて?」僕が聞き返す。

「だーかーら、『まさか、ジャコが人殴るとはな』だよ」

あまりにも予想外の言葉が返ってきた僕は、瞬きを忘れてその場に立ち止まる。妻は立ち止まる僕に気付かずに、話しながら先に進んでしまっている。

僕は、この突拍子もなく放たれた野性味あふれる言葉に、少なくとも興味を持ってしまっていることに気づく。

そして、妻に駆け寄り、言う。

「それ、どんな人が言ってたの?」

「人がいっぱい居たから誰か分からないけど、多分若い男の子の声だったと思うな。交差点ですれ違う人の言葉だから、何人かの声が聞こえて。それで、彼の言葉が一番心に響いたから・・・」

わが妻ながら、こんな野蛮な言葉が心に響くのか、と驚愕の気持ちになったが、僕は思考を続けた。

まず初めに、「ジャコ」なんて名前のヤツは人殴るだろ!と思った。

何をそいつは不思議がっているんだ。ジャコの「ジャ」はどうせ邪悪の「邪」だろう。いや、「蛇」の可能性もある。そうすれば、後に続く「コ」も「孤」とか「虎」ではないか。いや、意外に「娘」というトリッキーな場合も考えられる。

僕の考えでは、ジャコという名前は「邪虎」(邪悪なトラ)、もしくは「蛇娘」(ヘビのような舌を持つ妖怪の娘)に落ち着きそうになっていた。どちらにしても、身の毛もよだつ恐ろしい名前だ。とっても殺し屋にいそうな名前だ。

もう一度言うが、そんなヤツは絶対に人殴るだろ! と再確認するかのように僕は人知れず大きく頷く。

 

「それで、どんな占いが出たの?」もはや僕の関心は全て辻占に注がれていた。

「えーとね、占い師さんはそれ聞いて、最初すごい驚いてね。急に顎に手をついて悩みだしたの。一分くらい、うんうんって頷きながら。それから思い出したかのようにメモを書き始めたの」

「メモ?」

「うん、それがこのメモ」妻が一枚の紙切れを僕に見せる。

そこにはこう書かれていた。

『君は今からいろんな体験をする。それこそ苦難も多くある。決めがたい進路に悩むこともある。時には望まぬことを選択せざるをえない時もくる。しかし、それは全て君の人生の大きな木が、実に多くの枝分かれをしているということだ。その枝に実をつけるかどうかは君次第。世の中には本当に選択肢が少ない人もたくさんいる。君は恵まれている。自分で自分の道を進めるから、君は幸せだ。恋愛も仕事も多くの選択肢があれば、正しい選択肢も増える、だから、君は自分の信じる道を突き進めばいい、ボーイズ ビー アンビシャス』

僕はメモを読み終えると、妻の顔を見た。

「考えてみれば、この世の中には自分の道を選べない人たちっていっぱいいるよね。でも私は選べるだけ幸せなんだ! って思った。その人たちの分まで頑張らないと。ってね!」

僕は口を半開きにしたまま、妻の意気揚々とした話を聞いている。

 

妻よ、それはただ「ジャコ」という言葉をいろんな種類の入りまじった小魚と例えて言っているだけじゃないのか。

妻よ、ボーイズ ビー アンビシャスって、君は女だろ。

妻よ、妻よ・・・

 

僕は笑顔で話す妻に何も言えなかった。でもそれで良いと思った。

今、妻の可能性の枝は何本にも分かれている。

妻は言った。

 

「今日は何食べようかな?」

 

ほら、また枝が一本増えた。

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